昭和41年08月20日 夜の御理解



 今日は久留米地区の各教会の総代さん方の集い、松影会という会が出来ています。毎月教会迴りであって居りますが、私も今日はどうでもおかげ頂きたいと思いましてね。旗崎の教会、流石にやはり各教会の総代さん方ばっかりですから、話も非常に上手と言いますか、一時から五時半まで様々の、話が出ましたですけれど、そのテーマになっておりましたのが、青少年の育成ということでした。
 若い信者がついて来ない。子供がついて来ない。各教会に青少年会、少年少女会というものがが出来ては消え、出来ては消えと言った様な教会が殆どだった。十二カ所教会がございますかね、久留米地区に。けれど、その育成についてと言う様々な話が会っておりましたけれど、なかなかそれぞれに努力して居られます。若い信者が信心についてこないと。成程良いアイデアをもってするとちょっとはいいんですね。
 例えばあの日吉町の長男が発表しておりました。少年少女部会を色々、来た者には何かやるそうですね、またはそのいろんな鉛筆なんかもらうそうです。百名位来るそうですね。町ですから。ところが、それをやりあげるとさっと帰ってしまう。ですからた元のもくあみになってしまう訳なんですね。ある人が言っていました。どうしても青年会が揃わない。そこでレコードコンサートなんかをやる。ダンスの指導なんかやる。そういしたら信心のない人達がわんさとやって来る。
 そしてコーヒーなんかも出す。そしたらうんと集まって来るんだそうです。けれども先生の御説教になると、御説教になるからいやだと言う。止めたら同じこと。そういう似たりよったりの思い付きのお話をね、致しておりましたが、最後に旗崎の先生が、私初めて聞かせて貰いました。もう何十年の三十五年の、三十六年目ですね、去年が三十五年でしたからお話聞かせて頂いたんですけれども。
 お話というより、やはり自分の信心を語られるんですね。これは少年少女部会が活発であると言う事でなくて、信心になると言う事で、この辺界隈きっての定評がある教会なんです。学院なんかでも少年少女部会が全部出てる。それも寒中修行なんかをやるんですね。それでもうなんですか、楽でも本当の楽をやっておるんですね。あらゆる楽器も揃えてある。小さい教会ですけれども、今日高橋さんが送って下さいましたから、あそこの教会もぐるりと迴らして頂きましてから、確かに御比礼たっておるところ。
 人が助かっておる教会は違うねというって、迴って来たことでございますけれどもね。 本当にそうですね。終戦二十年余りというもの、本当にここはお稲荷様かなんかじゃろうかと云うように通りがかりにですね、不思議なお稲荷様の祈祷師かなんかおんなさるような感じの教会でした。それがあちらの御主人が亡くなられると同時でございましたね、人がどんどん助かりだしたんです。一時はほんとかどうか知らんけれども朝の御祈念に百人から参って来ておったと、そしてあんな不祥事がございましたね。
 朝の御参拝、御祈念しよってから、ある婦人が途中で殺されなさっと言った様な事件がございましたね。それである一時に御比礼が落ちまして。まぁけれども、やはり助かってもいきよりますし、信者も生き生きしております。そういういわば教会なんです。それにこういう事を言っておられましたね。私はあの、西久留米の先生ですもんね。今あの田舎のあの東北かなんかの方でしょう。お母さんとご兄弟を呼び寄せておられて、親子兄弟三人の生活、教会。
 そいで自分に子供がいない、ですから参って来る子供達一人一人を自分の子供だと思うと。 そいで私は色々なことは教導はしない、もうやるに任せておると、そして温かく見守っておるという気持ちだと。けれどもああして育って参りますという話をしておられました。 成程と思いますね。どんなに素晴らしいアイデアをもってしてですたい、成程集めると言う事ではなくて、少年少女、子供ながらのやはり信心を分からせて頂くということは神様が分からせて頂くということ。神様が育てて下さると言う事。
 それに先生が信条を持ってです、この方の信心は親切一つで助かる道とさえ仰るのです。自分には子供がいないから一人一人の子供に自分が母親になった気持ちで接すると言う事です。だから育てるというのではなく、子供達と一緒に遊ぶとこういう、何か美味しいものが有ればそれをみんなで分けて頂くと、今日のお話の中に各教会でそういう青年会とか学生会の育成資金ということについての問題が出ておりましたが、その事を取り上げて言うておられました。
 私の場合は外の事は出来ませんけど、少年少女部会があるのに今度は、五日の大会にあちらあちらから何十人か行ってるんです。そいでその普通は総代さんか誰か責任者が付いて行くんですけれども、あちらはみんな少年少女部会だけで行ったそうです。その代わりお金だけはもって行きなさいと言うてお金だけは持たせたそうです。そのお金がですね、育成資金と言った様な事は考えもしません。出しきりもしませんのですが、有難いことにはですね、少年少女部会を卒業しますと就職をする。
 そすとですね、あっちこっちから誰が言うた事でもないのですけれども、千円送って来る者もおれば、三千円送って来るのもいる。それが少年少女部会の時に、あれも作りたかった、あれがあるといいと思ったからこの様なものを作って下さいと言うてから、少年少女部会,まあ倉庫のようなものでありますけれどもこの御広前の半分位な、納屋のような感じではありますけれどもありますけれども出来ておる。そこで盛んに少年少女部会の活動をやっておるというんですね。
 しかも誰といって指導者がある訳でもない。先生は指導なさらない、けれど信心は育って行くと。そして、もう親には言えないような事でも私の相談してくれますと、そして、その金がなんと五万円貯まっておりますと、それがいうならば育成資金ですけれども、信者が出し寄っての育成資金を作ったのではなくて、少年少女部会その自体がおかげ頂いておると。五万円のお金を行くときには浪したそうですね。
 今度ご本部にいくときに、お金を持って行ったら安心だから、それをビニールに包んで銘々の幹部の人達が交代で風呂に入るときなんか交代で入ったというてから、しかも結局一銭も使わず持って帰りましたけれども、それがその楽しみという訳なんですね。成程、例えばあそこには珍しい手洗いが去年出来ました。それで去年記念祭にその上の屋根が出来たんですけれど、それは見事なもの。自然石のあれはもうああいう石、何処から運んで来たやろかという位見事な石が、一寸高みにですね。
 高橋さんと立派な石やなあというて帰ったんですけれども、この手洗い鉢につり会った御広前が出来た時がこのお広前のいよいよ繁盛の時であろう、御成就のときであろうというて帰ってきました。恐らく出来るでしょう。あの勢いならば、それでもどういう様に比礼の元というのがあるかというとですね、恐らく信者一人一人の上にも親の思い、心情があるように私思うんです。親切が、親が子を思う切なる心というものが、信者一人一人の上に通って行くんだと思うんです。
 これはやはり、先生の今日のお話ではございませんけれど、非常に難儀のご婦人が参ってきて、その日食べる事にも事欠くという、それで泣きついて参ってきた。いくら泣きついたからというて、さぁお金もらうたという神様ではないと、けれど、あんた何をしよるかと、まあそこに賃仕事をしたり、薪を取りに行ったりしているけれども、今日食べる金もないと言った様な初めてのお参りだったらしいんです。それで旗崎の先生が言われたそうですね。それなら今から早速高良山に登ってから薪物取っておいで。
 なんぼでもあなたがひっからって来る位は落ちとる。そしてからここに持って来なさい、買うてやるからと。そうしたら毎日薪を取りに高良山に登ってその婦人は薪物を取って来てそれを教会に買って貰って、そしてどうやらこうやら子供の手足がのびるまでですね、それを買い続けられたという訳です。まあこれは私共の生き方とちょっと違いますけれども、そういう一つの心情ですね。何かちょっと曲げられないものがあるんです。例えて云うならば、御広前でお茶なんか絶対出されないそうです。
 お茶を飲みたいなら勝手に行って飲みなさいと、お広前ではお茶を飲む所じゃないという生き方の先生なんです。一徹なものを持っておられます。ですから結局最後の締めくくりは旗崎の先生が話されましたから、もう何も言う事ないんです。本当に子供達が付いて来ない筈だと、青年会が発展しない筈だと。少年少女部会が育たない筈だと。結局総代銘々の信心と同時に、もしあれに教会長でも居られたならば、それはもう教会長自体がおかげ頂く以外にない。いわゆるおかげは和賀心にあるのだと言う事になる。
 その和賀心が、そういう一人一人の子供に対して母親の思いになって親の思いになってから、一人一人の子供は子供なりの難儀を取次させて頂くとこういう訳なんです。私は放任主義ですのでと言われる。高橋さんと迴って少年少女育成館か何かでしょう、名を付けるなら看板かかっているのも、子供達が書いた看板がかかっているんですす。表札のごたるとも子供が作ったのであろうと言う様なものが掛かっておるんです。なかには大きな丁度何もかも子供達の手でやっている。
 しかもここ何年か、旗崎に少年少女部会が出来て、非常に生き生きとした、少年少女部会があるという評判を、聞くようになってから、もう五、六年になるでしょうか。ですからもう、何回かの卒業して行く人が出来て来る。その人達が、今度は就職して、ぼく達の頃にあれもなかった、あれが欲しかったから、あれを供えてくれというて、送って来るという。あんた方が就職したら、何処の教会でもいいから参りなさい、旗崎のことはいらんというて。
 だからそんな風ですから、東京に行っている者は東京、大阪に行っている者は大阪と、やはり青年会は青年会で、活動のおかげを頂いておるというて、帰って来る時はやっぱり一番口に私の所に参ってくれる。けれど、そういうお話を聞いてですね、如何に私共の今の生き方が、おかげの受けられない生き方というのと、おかげを受けて行く生き方というのがはっきりしておるものを感じるでしょう。随分と努力しているんですね。今の育成ということについても。
 根本にそう言う様なものがあって、そういう中から御用頂こう、その中から様々な一つの組織と言った様なものも、出来て来るような働きに、なってくればいいのですけれども、先ず組織を作ろうとする、先ず集めようとする、何か餌で釣ろうとする。又信心の事を言うと逃げるから出来るだけ言わぬんようにしとる。そう言う様な事で生き生きとした信者が出来る筈が無いと言う様な事を感じるですね。 
 今日私久振りに椛目を出らして頂いてから、まぁ何というても女の先生ですから、スケールは小さい感じがいたしますけれど、その中に生き生きとしたものを持っておられる。もうそれが小さい教会ですけれども、隅ずみにそれを感じられる。どうぞ皆さんの信心に於いても同じ事。何かその神様に通う生き生きしたものがです、なからなければならないと云うことですね。そして今朝あたりから頂く御理解が、竹や木は折れる。金の杖をつけば曲がる。神を杖につけば楽じゃと仰る。本当に神を杖につけば楽なんです。
 もう本当に子供達が育たんからと、どうこういうて心配することは何もいらんと言う事。只問題は自分は子供達一人一人の上に親の思いで接してやるだけと言う事。いわゆる神を杖について行けば楽に、よそでは育たない。その育たない筈がない。教会で育っていないと言う事。旗崎の教会では、今少年少女部会は確かに生き生きとしたそして育っていると言う事。やはり神の杖をついておられると言う様な気が致します。
   どうぞ。